自叙伝

うるせぇ〜!このクソババァ!

 

「うるせぇ〜、このクソババァ!」

 

大好きだった祖父の、最後の言葉でした。

 

 

 

 

 

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私の守護霊は、この「クソババァ」の祖父だそうです。

 

20歳の頃、ある霊能者に

父方・母方の区別がつかないけど、

お祖父様が物凄い力で守っている!

 

そう言われ、すぐに父方の祖父だと確信しました。

なぜ?って、当時は母方の祖父は健在だったから…😅

 

祖父が亡くなって半年くらい経った頃から、

常に祖父の気配を感じていました。

 

 

 

 

 

 

 

祖父が亡くなったのは、

私が小学校2年生の時でした。

 

当時、私は妹とともに父方の伯母の家で暮らしていました。

 

母親が入院したため、

小学校1年生だった私と1歳半だった妹を

父は福岡に住む自分の姉に預けたのです。

 

 

 

小学校までの道のりは、子供の足で1時間越え!

 

福岡弁で話しかけてくれるクラスメイトの言っている事が

半分くらいしか理解できなかったけど…

 

それでも、ずっと東京で育った私にとっては

小学校生活も遠い通学も、全てが珍しくて楽しかったのです。

 

 

しかし、伯母の家に帰宅すると…

 

まだ幼かった妹は、伯母を「お母さん」と呼び

実の母親の事など忘れたかの如く伯母に懐き、

また伯母も妹を溺愛していました。

 

私は…

と言うと、物心つきすぎていて

伯母に懐く事が出来ないし、

本能的に『この人は苦手』という意識がありました。

 

『この人は苦手…』

なぜそう思ったのか…

 

『母親を病気に追い込んだ人間と、同じ種類の人間だ!』

直感的にそう感じたのです。

母の病気の経緯については後日、記事にします

 

 

 

全く懐かない姪っ子に、

伯母のストレスは増大していきました。

 

預けられた当初から優しい伯母ではなかったのですが、

日に日に厳しくなり、今になって考えると最後は虐待の域でした。

 

 

 

毎日のように私の母の悪口を聞かされ、

好物の納豆を「こんな臭い物、人間の食べるものではない!」と禁じられ…

 

 

家に帰る事が苦痛だった私は、

下校途中で友人たちと遊びながら帰宅しました。

 

野いちごや梅桃(ユスラウメ)を摘んだり、

牛舎を見学していたら「乳搾り、やってみるか?」と体験させてもらったり、

全てが珍しく楽しかったのです。

 

 

薄暗くなって帰宅すると家に入れてもらえず、

伯母は私を倉庫に閉じ込めました。

 

電気のない、真っ暗な倉庫は

子供だった私にとって本当に怖かったです。

 

 

お腹が空いても、喉が渇いても、

伯母は倉庫を開けに来てはくれません。

 

体育座りで顔を膝に埋め、

怖さと空腹をしのぎました。

 

 

 

深夜になって…

やっと伯母が倉庫を開けてくれましたが。

その時の形相は鬼のようで、今でも忘れられません。

 

Bさん
泣き叫ぶかと思ったのに、

可愛くない子だね〜

ったく、早く入って明日の用意して寝なさい!

 

そう促され、空腹だったことも喉が渇いていたことも忘れ、

翌日の学校の準備をして、お風呂にも入らず布団に入りました。

 

 

 

その出来事から数日間は、

学校が終わると急ぎ足で帰宅しましたが…

 

 

そんな居心地の悪い家は、

なるべく長い時間いたくないですよね。

 

 

子供ながらに天秤に掛け、

私は暗く恐ろしい倉庫と空腹を選びました。

 

 

 

 

ある日…

 

やはり薄暗くなって帰宅すると、

回覧板を持った隣家のおじさんが来ていました。

 

私が「ただいま〜」と言いながら倉庫に入っていくと…

 

Bさん
あんた、何でそんなとこに入ってるの?

早く家に入って手を洗いなさい!

 

と伯母が慌てて追いかけて来ました。

 

 

やっぱりそうなんだ!

大人は嘘つきだ!

他人の前では良い人を装うんだ!

 

 

私はこの時、

『身体が大人になっても、決して子供の心は忘れない』

そう誓いました。

 

 

こういう大人を目前にしたのは、

この時が初めてではなかったので確信したのです!

このことについても後ほど公開します

 

 

そして私は…

伯母の家では言葉を発することをやめました…

 

 

 

 

同時期…

(子供の頃の記憶なので定かではないのですが)

 

父方の祖母が足を骨折し入院、

そして何故か祖父も祖母と同室に入院しました。

 

老父婦2人暮らしだったので、

以前より腰の手術を考えていた祖父は

祖母の入院を機に一緒に入院し手術を決めたそうです。

 

 

祖父母の病室に親戚たちが集まった時、

活発だった私が言葉を発しない子になっていて

誰もが驚いたそうです。

 

 

のちに聞いた話ですが、

2番目の伯母が私を心配してくれ

「うちで引き取ろうか?」

と言ってくれていたそうです。

 

 

因みに父の兄弟は

長女→次女→三女→四女→五女→父(長男)

壮絶な女系家族😅

 

私が預けられていたのは五女です。

 

 

伯母たちの中でも一番近い存在だったのは次女!

 

この伯母が私の目の前でそう言ってくれていたら、

私は意地でもこの伯母から離れなかったでしょう。

プライドの高い五女の伯母が許すはずないけど…

 

 

 

 

祖父の手術の日…

掛かってきた電話に出た従姉が

「じいちゃんが中風だって!」と叫びました。

 

 

当時の私には何のことだか理解できなかったのですが、

病院に行って目の当たりにした祖父の姿に驚愕しました。

 

「じいちゃん、どうして?

簡単な手術だって言ってたじゃん!」

 

伯母がいたので声には出しませんでしたが…

 

 

身体が麻痺し、

うまく言葉を発することの出来なくなってしまった祖父が

懸命に私を手招きしていました。

 

 

私は祖父の近くに行き、

布団の中に手を入れ祖父の手を握りました。

 

握り返してくれた祖父の力は、

小学2年だった私よりも弱い力…

 

つい先日まで元気だった祖父の変わり様が

とにかく怖かったのを覚えています。

 

 

 

実は祖父、

手術をしていなかったのです。

 

手術前の麻酔によって体調が急変し、

そのまま中風状態になってしまったのです。

 

 

 

 

手術予定だった日からどのくらい経った頃だったのか?

 

祖父の危篤を知らせる電話が入りました。

 

 

 

学校を休んで病院に駆けつけました。

 

私が到着するとすぐに、

祖父はまた私を手招きしました。

 

何かを言っているのは聞こえるのですが、

何を言っているのか聞き取れず諦めようとしたら

祖母が大声で

「正美! じいちゃんが何か言いおるけん、しっかり聞かんと!」

と言った瞬間…

 

 

「うるせ〜 このクソババァ!」

 

祖父の声が病室に響き渡りました。

 

 

タイミング良く病室に入ってきた看護師が

慌てて医者を呼びに行きました😅

 

 

私が聞き取ることの出来た祖父の言葉は、

唯一これだけでした💦

 

 

うるせ〜 このクソババァ!

 

 

じいちゃん、しっかり聞こえたよ!

 

 

 

 

 

私の誕生を誰よりも喜んでくれ、

自分の名前をとって名付けてくれた祖父

 

生後間もない私を、毎日のように入浴させてくれた祖父

 

 

 

いつも温かい眼差しで見守ってくれていた祖父

 

 

最後の言葉の裏にこめられた祖父の思い、

私にはちゃんとわかっています!

 

 

 

 

 

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