自叙伝

祖父母の唯一の失敗は…

 

嫌いだった父にも、同情する面があるのです

 

 

 

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子供の頃、嫌いになってしまった父ですが…

 

うるせぇ〜!このクソババァ!

隣のおばさんと父がクソだった

 

 

 

大人になってから考えると…

 

Masami
もしかしたら可哀想な人だったのかも…

 

そう感じる面もあります

 

 

 

 

父は6人姉弟の末っ子の長男!

 

つまり、上の5人は全員女♀なのです

 

 

しかも、育ったのは6人だけど

幼い頃に2人の姉が亡くなっているらしく…

 

実際は8人姉弟の、黒一点!

 

壮絶な女系家族😅

 

 

 

長女の娘、つまり私の従姉が

私の母よりも年上です😅

 

子供の頃、その従姉の子供(従姪)が私の一歳下で、

伯母のことを「おばあちゃん」と呼んでいるのが理解できず…

 

伯母の子供(従姉)が私の母よりも年上だから、

伯母は私の中では「おばさん」ではなく

どちらかと言うと「おばあちゃん」

 

ひとつ違いの従姪が「おばあちゃん」と呼んでいるのに

私は「おばさん」と呼ばなくてはならないと教えられ、

マジで理解不能だったのを覚えています

昔はそんなこと、珍しくもなかったんだろうけどね〜

 

 

 

 

女系家族の中、祖父母はどうしても男の子が欲しかったそうです

 

父は、祖父母の強い願いで産まれてきた子!

『本来生まれるはずのない子だった』なんて話も聞いたことがあります💦

 

 

 

待望の長男で、しかも長女・次女・三女とはかなり歳が離れていて

祖父母や姉たちに溺愛されて育ったようです

 

 

愛される事には慣れていたけど、

人の愛し方を知らない人だったのでは?

 

 

父の口からよく聞いた言葉、

「お前のためにやっているんだ!」

 

 

これってよく、DVの人が言う言葉ですよね?

 

 

祖父母に溺愛され、姉たちからも大切に育てられた父は、

人の気持ちが読めない人間に育ってしまったのかもしれません

 

「自分がいいと思うことは、相手もそう願ってる」

みたいな…

 

 

 

 

祖父母は私が幼い頃に亡くなってしまったので、

祖父母との思い出はたったの7〜8年しかありません

 

しかも祖父母は大分県、私は東京で暮らしていたので

年に数回しか会えなかったのですが、

その短期間の思い出は濃いように感じます

 

 

私が父の実家に帰省すると、

必ず柿の木にブランコが作ってありました

 

私が来るのを待ちわびていた祖父が、

毎回作ってくれていたそうです

 

 

祖父は毎朝、フンドシ一枚の姿で外に出て

太陽に向かって手を合わせていました

 

なんで太陽を拝むのか不思議に思い、祖父に聞くと

「お天道様のおかげで人は生きていけるんだから、

毎朝感謝をして拝んでいるんだ」

と説明してくれました

 

私も数回、祖父の隣で拝んだことがあります

数回だけね…💦

 

 

 

祖母は少し怖い存在だったけど、

それは祖父の前だけで

祖母と2人きりになった時はとても優しい人でした

 

2人で孫を甘やかしてはいけない!

そう思っていたのでしょうか?

 

 

夫婦仲もとても良くて、

幼かった私が見ていてもまさに『オシドリ夫婦』でした

 

人としても尊敬できる祖父母!

 

 

 

 

なのに…

 

じいちゃん・ばあちゃん、子育てだけ大失敗したよね〜〜〜😅

 

 

 

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