預けられていた伯母の家から東京に戻ったのは、
小学校2年の12月でした
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その前に、今までの記事を読んでいない人のために…
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母が退院したので、私は東京に戻れることになりました☺️
小学校2年生の12月、まもなく冬休みという時期でしたが、
冬休みを待たずに帰宅しました
先ずは私だけ!
退院したばかりの母の身体への負担、
今まで2人の子供を預かっていた伯母が急に寂しくなるのでは?
という理由から、妹はまだしばらく伯母の家に残ることに…
退院したとはいえ、1年以上も入院生活を送っていた母は
以前とは別人のように見えました
それでも両親の元に帰れた事で、毎日が薔薇色🌹
しかし、親父は相変わらずクソ😅
幼い頃から父親の押しつけの元で育った私ですが、
伯母の家で過ごした事で二重人格化しました
…というか、
父親や伯母の前で見せていた『ジキル』の顔は
私にとっては生きていくための仮の顔!
本来の顔は『ハイド』なのです
あ、当たり前だけど殺人鬼ではないですよ(笑)
父も伯母も、権力や時には暴力で押さえつけようとする人間でした
それって、子供にとっては想像以上に怖い事なのです
「女は女らしく、大人しくて勉強ができる子が良い子!」
そんな考えを持った父親だったので、
常に父親の前では『女の子らしくて大人しい子』を演じていました
成績は良くなかったけど…
私と妹が福岡の伯母の家にいる間に、
父は以前住んでいた足立区から練馬区に引っ越していました
引っ越した理由はふたつ…
足立区の家は環七沿いにあり、
車の排気ガスが原因で私が小児喘息になった事…
そしてもう一つ、これが本当の理由だと思うのですが、
私が救急車を呼んだ事で
近所の人に母が精神を病んだ事が広まったので、
世間体を気にする父はそこから逃げたかったのでしょう
東京に戻っても、友達も知り合いもいない
私にとっては新しい地…
そして2度目の転校です
小学校は自宅から徒歩3分くらいのところにありました
担任は、私にとって初めての男性教諭
当時は少し人見知りがありましたが、
なぜか直感的に好きにはなれないと感じました
小2の3学期に転校したので、すぐにクラス替えがありましたが…
担任は変わりませんでした😢
伯母の家では、伯母の前で『ジキル』
学校では『ハイド』の顔を見せてきたのですが、
東京に戻ってからは、父の前では『ジキル』
学校と、父親が仕事から帰宅するまでの母の前では『ハイド』でした
つまり、私の両面性を知っているのは母親だけだったのです
転校生だったにも関わらず、
本来の脳天気で過ごす学校生活では
すぐに友達ができました
しかし…
3年生になってまもなく、
担任が家庭訪問に来ました
その日は何故か、父親も自宅にいました
私の学校での様子をペラペラと話し…
当時よく一緒に遊んでいた
一つ年上の近所の子の話題を出し、
「あの子は頭が弱い。
2年生の時にお漏らしするし、挨拶も出来ない。
バカで喋る事も出来ないから、友達も出来ない問題児」
と悪口を話し出したのです。
担任が帰ると、
私は父親から思いっきり殴られました
殴られた理由は、『学校でも女の子らしくしていろ!』
という意味だったのだと思います。
そして…
「頭の悪い子とは遊ぶな! 友達は選べ!」
近所の子と遊ぶ事を禁じられました
テメ〜の娘も頭悪いんだよ(笑)
福岡の学校での家庭訪問は、学区域が広いので
先生は同じ地域をまとめて訪問していました
児童たちと一緒に学校を出て、順番に各家庭を訪問…
なので友達も一緒の家庭訪問でした😅
この時も担任は「とても活発な子ですね」と話し、
それに対して伯母が「うちでは殆ど喋りません!」
強い口調で言う伯母から、担任は何かを察したのでしょう
急に話題を成績の話に切り替えようと…
しかし、一緒に来ていた友達が
「え〜 学校では転校生とは思えないほどよく喋るよ!
家で喋らないなんて信じられな〜い!」
と話題を戻そうとするのです😅
この時も、先生と友達が帰ってから
私は伯母から叩かれました
2度も類似した経験をし、
私は学校でも『大人しい子』を演じる決心をしました
福岡の学校の担任は
何かに気付いて話題を変えてくれようとしたけど、
練馬の学校の担任は気づくどころか
面白がって話を誇張していました
更に私の遊び友達の悪口まで暴露するなんて…
忘れもしないO田先生、超クソでした💢
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